2014年12月29日月曜日

ベトナムの焼き物村へ

まったくブログの更新をしないまま、年末を迎えてしまいました。今年中にと思って書きかけのまま放っておいたベトナム旅行、今更ですがアップします。半年以上も前のことですみません。

5月にベトナムへ行ってきました。ベトナムといえば、バッチャン焼き。赤絵で金魚や花が描いてあるキッチュな器は、日本の雑貨屋さんでもよく見かけます。また安南焼と言われる染付の器もバッチャンです。このバッチャン村と、もう一ヶ所、中部ホイアンの近くにあるタインハー村というところを訪れ、ベトナムの蹴ろくろを体験してきました。

<バッチャン>

ハノイからバスでバッチャン村へ。47ーAというバスに乗って終点まで行きます。バスを待っているとタクシードライバーがしつこく声をかけてくるので、指差し会話帳を使いながら「トイ・ムオン・ディー・バン・セブィッ(バスに乗りたいの)」と言うと、諦めて引き下がってくれました。地元の人の足を体験するのも大きな楽しみですからね。このバス代ですが、前年のガイドブックでは3,000ドンとなっていましたが、2014年5月の時点では7,000ドン。倍以上の値上がりで、かなりインフレのようです。



終点で降りるとマーケットがあります。


土産物屋さん的なお店は横目で流しながら、街へ出てみます。


人通りはあまりありません。


たまにバイクが。


ここはATMや学校があるので、おそらく町の中心地。


途中、とても素敵なお店を見つけましたが、夕方だったので閉店していました。残念。


こちらの工房では若い職人さんが釉薬かけと絵付けの真っ最中。手前の女の子は、皿を両手に持って同時に2枚ずつこなしていきます。そして奥の方に見える差し板に乗った器の数!効率良く大量生産するための工夫ですね。


バッチャン焼は今ではほとんどガス窯を使っているそうですが、昔はもちろん薪窯です。歩いていると廃墟や倉庫になっている窯を多く見かけます。でも燃料の泥炭が貼り付けてある窯や、煤跡が残っているものは、もしかしたら現役で使われているのかもしれません。どの窯もかなり大型 で、バッチャンが陶器産業の拠点として栄えていたことをうかがわせます。










私がガイドも連れずに街をふらふら歩いているものだから、いろんな人が、道案内をしようか、お茶でも飲んでいきなさい、など心配して声をかけてくれました。もっと言葉がわかれば色々聞きたいこともあったのですが、なにせ英語が通じません。片言のベトナム語と指差し会話帳だけでは陶芸の話はとても無理だったので、「カームオン、シンチャーオ(ありがとう、さようなら)」を繰り返すしかありませんでした。散々歩き回って、バス停に戻る途中、路地に迷い込んでいたら、自転車で通りかかった女性が「マーケットは向こうですよ」と日本語で教えてくれたのでびっくり。もっと早い時間なら、ガイドを頼みたいところでしたが、残念ながら日暮れが迫っていたので、バス停に急ぎました。



散策途中で見つけた店で手に入れたデミタスカップ&ソーサーです。ベトナム土産の蓮茶をこれで楽しんでいます。



<ホイアン〜タインハー村>



ベトナム中部のホイアンは15世紀頃からアジアとヨーロッパを結ぶ海上交易の中継拠点として繁栄した沿岸都市で、築180年以上の木造家屋が連なる旧市街は美しく、その街並みを残すため、ベトナム戦争時にも南北両軍が協力して攻撃しなかったのだそうです。まずはこの美しいホイアンに滞在して、美しい街を堪能します。



ホイアンのトゥボン川沿いの風景。

街の至る所でブーゲンビリアが咲いています。

路地がとても美しい。

この世界遺産の街、ホイアンのすぐ近くに、タインハー村はあります。タンハー村と紹介されているものがほとんどですが、地元ではタインハーと発音していました。



タインハー村はトゥボン川沿いにあって、ホイアンからはボートやタクシー、レンタサイクルなどで行くことが出来ます。今回、私はミーソン遺跡見学込みで、ガイドと運転手をチャーターしたので、車で訪れました。
タインハーは小さな村で、ほとんどの家が焼き物作りに携わっています。迷路のような路地の横は生活空間であり、仕事場です。うっかり歩いていると、人の家の敷地の中に知らずに入っていたりするので、迷惑をかけないよう、しっかりガイドさんの後をついていきます。

ここはバッチャンと違って、あちらこちらの薪窯が現役稼働しています。古いもの、新しいもの、いろいろですが、どれも比較的小型です。

窯焚きのときに神様にお供えするのは日本と同じですね。

ここはお土産品などを焼く窯のようです。

これは立派な窯。中も広くて、窯詰めしてあるのは土産物ではなく、生活雑器のようです。しっかり高温に上げられる窯ということでしょう。

燃料には薪と泥炭の両方を使うようです。バッチャンでは窯の外側に貼り付けてありましたが、ここでは四角に形を整えて地面に干してありました。


向こうの方で職人さんが作業中です。

近寄ってみると、鉢の削り作業をされていました。

たくさんあって、まだまだ忙しそうなのですが、削りに使っている道具がどうしても気になって見せていただきました。


 これです。丸い金属の筒をスライスしたもののようです。大きなものをガンガン削るには効率良さそうです。うちにもストーブの煙突の余りがあるので、試してみたいと思います。

先ほどの職人さんのろくろは電動で回っていましたが、タインハーの蹴ろくろは、蹴る人と作る人が別で、二人一組で作業しています。


こちらは熟練のおばあさんとお孫さんらしき女の子。息のあった仕事にしばし見とれます。


動画を撮ってこなかったことが悔やまれます。ベトナム女性は指が細く、器用な方が多いのですが、この方も美しい指で繊細なろくろ仕事をします。みるみるうちに挽きあげる様子を見ていると、吸い込まれるようでした。



私もせっかくなので、やらせていただきました。

はい、正直に申し上げて、恥を晒してきました。タン、タン、と女の子がリズミカルに蹴ってくれるのですが、蹴るたびにろくろの天板は大きく揺れてブレます。そしてタインハーの土は粘りがあってよく伸びるので、つい一気に薄く挽きあげたくなってしまうのですが、慣れない土でそんなことをしたらダメですね。まったく思い通りにならず、横で見ているおばあさんに、だいじょうぶだいじょうぶと慰められてしまいました。



このタインハーの土の粘りはすごくて、糸で切り離したあと持ち上げようとしても、くっついて持ち上がらないほどでした。この土ならかなり丈夫に焼きあがるんだろうなと思ったら、横の展示スペースで店番をしている女性が、上に乗っても割れないわよ、と実演するのです。うわ、乗らないでと思わず声をあげてしまいました。作り手としては、足で踏んづけられる器を見るのは忍びないですから。



その乗っても割れない壺は、とても美しいので買って帰りました。あのおばあさんの作ったものです。半年経った今でも、飽きずに眺めています。




2014年2月1日土曜日

味噌仕込み

 自分の家で味噌を作る人ってどのくらいいるのでしょう。作るどころか味噌の消費自体が減っているそうですから、あまり一般的ではないのでしょうね。我が家では毎年冬の間に一年分の味噌を仕込みます。薪ストーブの火を利用することでエネルギーの節約になりますし、寒い時期に作ると美味しくできるからです。大豆を指でつぶれるくらいやわらかく煮て、熱いうちにすりつぶし、塩と混ぜておいた麹と合わせて樽詰めをする。時間はかかりますが簡単な工程です。今年は米味噌、玄米味噌、麦味噌、それぞれ10kgずつ仕込みました。毎年米味噌と麦味噌を仕込んでいて、最初に美味しくなるのは麦味噌。ところが1年半を過ぎた辺りから圧倒的に米味噌が美味しくなってきます。だからどちらも必要。朝の味噌汁に麦味噌、夜は米味噌と味の変化を楽しんでいます。玄米味噌は今年初めてなので、どんな味になっていくのか楽しみです。 


 大豆をつぶすときは夫も参加。すり鉢でコツコツつぶしていく作業は根気もいるし、筋肉痛にもなるのですが、よほど味噌好きらしく嬉々としてやっています。なんかこう機械でさぁ、ピューッとつぶすのないの?とブツブツ言いながらも楽しそうです。機械でピューっとやったらどんなに楽でしょう。でも手でつぶすことが私としては味噌のミソのような気がするのです。機械でいきなりペースト状にするのではなく、手作業でところどころムラのあるつぶし方になってるからこそ美味しいのじゃないかと、そんな気がします。 


 ストーブで大豆を煮ているあいだ、家中に独特のくすんだ甘い匂いが漂います。




 今年は国産有機大豆を使いました。これはもうびっくりするほど甘くて美味しいです。そのままパクパク食べたいくらいです。 ちょっと値段が高いけれど、こんなに味が違うならもっと早く有機を使えばよかった。

  

 塩もミネラルたっぷりの藻塩。麹屋さんからセットで送ってもらいました。 これだけ素材がいいのだから、きっと美味しい味噌ができるはず。春からひと月置きに天地返しをして、秋頃から味見を始めて、1年から2年、熟成していく間の味の変化を楽しむのは最高の贅沢です。